Nice to meet you!
当ブログサイト「投資生活.com」運営者のわい太です。
現在、パートの事務で働きながら、株投資の収益をメインで生活をする兼業投資家です。
しか~~~~~し!
スタート当時は貯金ゼロ、投資知識ゼロ、負債あり、低所得者。
特に秀でた才能や自慢できる経験や特技もありません。
高身長でも、超絶イケメンでもありません。
ヘタレな精神力で熱しやすく冷めやすい性格です。
ろくに1つの会社で長く働くこともできません。
親にもたくさんがっかりさせてきました。
そんなわい太のような普通(?)のやつでも、投資で稼ぐことはできます。
チャンスも平等です。
投資は、わい太の人生を大きく豊かにしてくれています。
わい太の専門分野は株投資となります。
お金と株投資に関する経験や学びを発信することで、1人以上の生き方の選択肢を増やし、時間という財産を豊かにするサポートをしたいと思いブログを運営しています。
そんなわい太ってどんな人?ということで紹介させていただきます。
わい太のキホン情報
項目 | 内容 |
生まれ・育ち | 名古屋生まれ・三重県育ち |
ゆかりの地 | 鹿児島県・岐阜県・福井県 |
年齢 | 30代 |
家族 | 3人兄弟の次男、既婚 |
好き | 高校野球(甲子園)・サッカー・海釣り・カフェ |
嫌い | 急にあらわれる虫・ギラついたうさんくさい人 |
性格 | 楽観的・自分にやさしく甘い |
座右の銘 | やってみて、ダメならやめればいいじゃない |
仕事 | 銀行、珈琲専門店、人材採用支援、予備校、保険など |
資格 | FP2級、AFP、キャリアコンサルタント |
夢 | 世界の貧困削減に貢献する・ユニークに生きる |
わい太's ストーリー
学生時代(小・中・高):面白いことが大好きな鈍足貧打の野球少年

小学2年生から高校1年生まで野球をやっていた、いわゆる野球少年でした。
父親のガニ股を引継ぎ鈍足で、かつ貧打。
肩は強くて、ほめられた守備は伸びたので、中3の途中まではレギュラー。
中3の後半からはさすがに打てなすぎて、ベンチウォーマーとして活躍しました。
結局、高1で硬式野球の練習と、上下関係のきびしさについていけず帰宅部に。
性格的には、面白いことが好きで目立ちたい精神があったので、人を笑わせることばかり考えていました。
おかげで、体育の先生に頭にかかと落としをくらったり、あまり怒らない先生を怒らしてしまう始末。
そのためなのか、成績は良くはなかったです。
受験生のときは、目標もなく親にはかっこつけて「京大にいくんや」とか言っていました。
ところが、高3の夏に成績が伸び悩みはじめました。
部活をやめた友人が同じ予備校にきはじめ、公園でペットボトル野球に熱中。
あたりまえですが、どんどん成績が右肩下がり。
京大の赤本は固くて寝づらい枕になりました。
浪人は絶対NGだったので、友人と一緒にいけそうな地方国公立を受験。
まさかの「余裕だ!」といっていた友人だけ落ちて、単身で福井県へ。
学生時代(大学):「お笑いとファッション」が9割5分

人生初の一人暮らし。
完全に知り合いもいなく、田舎すぎて近くのバスは1時間に1本レベル。
高3あたりからシャイになっていたので、コミュ力もなく、友達づくりに苦戦。
しかも服も全然なかったので、みんなのオシャレさにびびりました。
当時は、お金も全然ありませんでした。
まだバイトを始める前に家賃3万5千円の激安学生マンションですが、収入は奨学金の5万だけで放り込まれました。
仕送りはほんとに困った時だけ頼んでいましたが、毎月あるわけではありません。
交通手段もあまりなく、近くのバイトでもコンビニやスーパーくらいで当時時給800円をきる安さで、なえました。
1年くらいくすぶっていたわい太でしたが、同じ三重県出身の天才的におもしろいやつと友人に。
そこからやっと大学デビュー。
彼とよく遊ぶようになり周りの友人とも仲良くなり、彼女もできて大学生活を楽しんでいました。
大学での勉強やゼミよりも一生懸命学んだことは3つです。
大学で頑張った3つのこと
- 面白い友人とお笑い芸人からトーク力を学ぶ
- おしゃれファッションを磨く
- 長期休暇で地元でバイト三昧
お笑い芸人では、フリートークのおもしろい「さんまさん」「クリームの有田さん」「さま~ずの大竹さん」「ダウンタウンの松本さん」を研究していました。
ファッションはださすぎたので、お金のほとんどは服につぎこみました。
福井県だとおしゃれな服屋さんがあまりなかったため、地元に帰っては名古屋のパルコや大須にいって買っていました。
服や友人と遊ぶお金を捻出するために、福井だと時給のいいバイト先は遠く効率がわるかったので、春夏冬の長期休みに地元でバイトを頑張っていました。
今振り返ると、ポジティブに考えれば楽しい大学生活でしたが、本当にお金と時間の使い方が乏しかったですね。
経済学部でしたが、唯一頑張ったゼミの学内プレゼン大会で特別審査賞を受賞したこと以外に勉強の記憶がありません。
友人とした数々のおバカな遊びやフットサル、ファッションや女の子のことばかりを考えていた日々しか思い出せません。
今なら自信をもって、地方の大学生のために「正しい大学生活の送り方」という講義ができるでしょう。
新卒(1社目):ザ・体育会系「飲み」ばかりの地方銀行

新卒では、給料が良くて資産運用が学べそうといった理由で入社しました。
ところが、平日月曜から飲み会つづき、新人は盛り上げろの意味不な指令。
「俺たちは勝ち組だ」的な先輩方の井の中の蛙トークと、しょうもない下ネタを聞かされる日々。
新卒でまだ月15万のちょー安月給なのに金をたくさん使わされ、給与が入ったのに残高70円ということも。
常に口座はマイナス状態でした。
仕事内容というよりも、その環境にいることに耐えられず、1年で早期退職しました。
結果として転職してもいいですが、無駄な時間を減らすためにも就活はきちんとやるべきですね。
転職①(2社目):珈琲が苦手だけど珈琲専門店の店長

根っこに実は負けず嫌いなわい太がいます。
前職の地銀の人たちを見返せるぐらいお金を稼ぐ力をつけたい。
世界や日本で本当に困っている人の役に立てる、社会問題を解決できるような人間になりたい。
そんな大きな夢を胸に、自分が働いてみたいと思える仕事を考えました。
そして、わい太にとって癒しでもあったカフェや喫茶店で働き、将来カフェオーナーになることを目標に決めました。
ブラックで珈琲を飲めなかったお子様な口でしたが、地元の有名な老舗珈琲専門店に入社。
3か月後に本店の店長にトライ。
右も左も前後上下も分からない状態でしたが、先輩方の助けもあり、2年目には低迷していた売上がV字回復に成功。
大変ながらも実のある楽しい日々でした。
一方で、超パワハラな社長や裏のボスである社長の姉の存在もあり、たくさんの素晴らしい社員やパートさんが辞めました。
お金のために仕方なく我慢して働く人たちの姿を見て
「自分の生き方を選べるようになりたい」
「自分の利益のことばかりしか考えない人になりたくない」
と強く感じました。
そして、会社を辞める1か月前にわい太含め、数人の社員が社長から直々に宗教の勧誘に合うという珍事件。
そんなこと、あるんですね。(笑)
専門学生&修行:カフェ開業を辞めた東京1年生活

将来カフェを開くぞという思いと、少しずつ飲食の道って続けるべきなのかと思い始めていたわい太でした。
それを考えるのも1つの理由で、有名シェフから直々に学べる東京カフェの専門学校へ。
「ヒルナンデス!」に出ているようなシェフや社長も特別講義で来ます。
芸人のあぶちゃんの旦那さんにも、教わりました。
修行のために、新宿のワインバーやシアトル系のカフェチェーン店、六本木のフレンチカフェなどで働きました。
しかし、1年を過ごしていくうちに「まずはおいしい料理をつくって、お店をだして儲かったらやっとオーナーになる。」
みたいなキャリアプランばかりに息苦しさを感じるようになりました。
料理人でなくてもカフェを企画しオーナーになる人の話も聞いたりしましたが、その業界に命を懸けたいと思う熱意がないことを自分に感じていました。
また、将来オーナーになる気がない学生気分だけの人が多い環境にいることに怖さを感じ、社会に出て働くことを決めました。
転職②(3社目):超ブラックな人材採用コンサル会社「人生のどん底期」

珈琲専門店の店長経験を振り返って、人材の育成ややりがいをもって働ける環境づくりに楽しさを感じてしました。
そこから派生して、人材系の会社で働こうと、京都の人材採用コンサル会社の法人営業職に転職。
しかし、たった3か月でまさかの退職。
入社してから1日も休みなし。
京都だと思ったら、大阪へ営業へ駆り出される毎日。
入社1週間後から、急に鬼になった社長と虚偽報告ばかりの営業未経験の先輩。
何も分からず、何も教えてもらえない状況で頑張れる気がしなかった、甘ちゃんなわい太です。
自分のやりたいことを模索する時間もない状況に危機感を感じ、退職を申し出ました。
人材採用コンサル会社でしたが、自社採用は失敗し続けていたようで、退職後に倒産していたことを知りました。
そして…「辞めちまった。これから、どうしよう。」
路頭に迷うというのをまさに体験した1年でした。
まずは動かなきゃと、ビジネス本を立ち読みしまくり、ビジネス系のセミナーに参加。
会社の社長やフリーランスで働く人の話を聞きに行ったり、自分でセミナーっぽいものやイベントを企画していました。
知らないうちに怪しいネットワーク系のビジネス団体にたくさん勧誘されたりもしました。
お金が全ての、ダサくて胸をはれない営業手法ビジネスばかりだったので退散。
しかし、画期的なアイデアもなく、自信をもってできる「何か」もありませんでした。
大してない貯金もなくなり、極貧生活。
数か月、親から資金援助を受けてしまうというお恥ずかしい限り。
お金の大切さが心身ともにしみました。
就職してもやっていけるのかという自信喪失感、仕事漬けで結局何もできなくなってしまうのではないかという不安。
親に迷惑をかけてしまっている自分への悔しさ。
そんな自分に絶望する時間を過ごしていましたが、現状を変えるために、恥をしのんで実家にUターン。
まずは、しっかり社会で働き自分の力で誰かの役に立つというシンプルな想いをもって、再就職することに決めました。
23歳~27歳までは、本当に自分は何をしたらいいのかさまよい、期待1割、不安が9割な日々でした。
ただ、京都で絶望の1年を過ごしたことで、明確になったことが3つありました。
わい太が将来やりたい3つのこと
- 投資力を磨いて投資家として生活できるようになりたい。
- 投資でお金を増やす方法を、分かりやすく学べて実践できるサービスをつくりたい。
- 社会で自分の力で人の役に立てるようになりたい。
もともと銀行に就職する前から、お金を貯めることが一時期好きだったり、親の影響もあり資産運用に興味がありました。
お金のことが学べる有名スクールの無料セミナーに行ったことも1つのきっかけでした。
きちんと学んで継続して実践していけば、ちゃんと成果をだせるし投資って危ないものではないと思いました。
ただ、受講料30万円ということで衝撃を受けました。
確かにそれだけの価値があるからこそ成り立っているビジネスなんでしょう。
しかし、お金のないわい太や似た状況の人にとって、利用しやすいサービスをつくりたいと考えるようになりました。
そこで、「投資生活com」のベースにつながる考えができました。
転職③(4社目):某大手予備校の運営するなら「今でしょ!」

まずは、社会で自分の力で成果を出すという経験と、投資のための資金をつくるために転職活動を始めました。
これまでの経験から、人材育成や生き方、働き方に関わる仕事。
そして経営や営業を経験できる仕事がしたいと考え、某大手予備校を運営するFC会社へ。
せめて30代のうちに独立できる状況にしたかったので
「3年間、仕事づけでがむしゃらに働いて成長してやる!」
と決めて、仕事に邁進しました。
その頑張りもあり、ちっこい会社ながら営業成績はトップになり、全国1100校舎の中から優秀校に選ばれるまでになりました。
わい太自身は大した学歴がなくても、東大や医学部生、名大などの旧帝大生など高学歴者が輩出できました。
成長させる仕組みづくりと、質の高いコンテンツがあることが結果につながりました。
3年で辞めるつもりでしたが、わい太の自己新記録更新で6年以上が経過し、事業部の統括になりました。
仕事では、たくさんのチャレンジをしてきたことで営業だけでなく、人材採用や育成、経営管理などに関わることができました。
非常に楽しく有意義な経験をさせてもらえました。
一方で、ちっこい会社なので社長のカラーが良くも悪くも出やすく、安定感がありません。
経営方針や理念もつくれないコンサルに操られる社長と、言いわけばかりのただのおばちゃん部長。
権利主張ばかりの社員のしりぬぐいにも飽きたので、やる気のある若手を採用し自分の伝えられることを伝えて後をたくしました。
きっと活躍してくれていると信じています。
投資の道へ。やっとこさ貯金を開始

さて、入社と時を同じくして、完全に貯金ゼロだったわい太でした。
まずは貯金力をつけようと、月3万円の積み立てからスタートし家計管理も始めました。
次に、投資初心者に始めやすそうな外貨預金から始め、徐々に投資信託へ投資していきました。
しかし、その中で何度も評価損益の上下をみて、何度もチャンスロスをしていると思うようになりました。
買うタイミングや売るタイミングが全く分かっていなかったので、なんとなく積み立て投資をしていました。
わい太は知らず知らずのうちにFPの人たちがメディアでよく言う、10年~20年の長期投資スタイルになっていたのです。
「いやいや、そんなことしてたらいつまで経っても夢は実現できない!」
少しでも若く時間があるうちに、たくさんの経験をしたいと考えていたので、もっと短期で利益を得るための投資スタイルに変えていく必要性を感じました。
株投資、始めました。

なんとなく積み立ての分散投資ばかりしていても、本当に思うように増えるのかどうか分からない状態をやめました。
積極的に利益を確定していくスタイルに変えました。
投資信託と仮想通貨もスタートさせていたのですが、ほんの数万~10万円程度でも利益を出せたという経験は、嬉しいものがありました。
そして、さらなる投資家としての高みを目指し「株投資デビュー」を決意しました。
それまでは、なんだかんだいいながらリスクが怖いので、知識をもう少し得てからと躊躇していました。
しかし、やっぱり少額でいいので実践しないと何も得られませんし、学ぶ意欲も高まりません。
「相場を読み、自分なりの根拠をもって売買して利益を得られるようになる!」
本格的な投資家としてのキャリアがスタートしました。
転職④(5社目):お金の知識を学びに某保険ショップへ

前職の予備校運営時には、とにかく時間がありませんでした。
自ら仕事漬けにしていたこともありますが、経営自体にも課題が山積みだったので1年平均80日くらいの休みでした。
もっとお金や株投資のことを勉強できる時間を確保したい。
利益はまだ少なかったものの、もっと利益を増やせるという自分への少しの自信と期待感がありました。
会社の給与は減ってもいいので時間を優先できる仕事で、どうせならお金に関連する仕事をしたら相乗効果だと考えました。
わい太は、某保険ショップに転職することになります。
保険は、銀行員時代にほぼ強制加入させられ解約した経験があったので、良いイメージはありませんでした。
だからこそきちんと学べば、自分や他の人の助けになると思いました。
実際に、保険ショップに転職し実践を通して学んだことで、保険の仕組みや考え方を知ることができました。
また、保険ショップで働く人たちがどう評価されているのか、どんな考え方で保険サービスを提供しているのか裏実情が知れたことも、貴重な経験でした。
ただ、採用で良いことをいっていただけで労働環境の悪さが明るみになり、実はあまり時間が確保できない状況だったので退職することにしました。
当たり前ですが銀行員時代同様で、資格の勉強を強制させられるので時間が削られますし、その勉強をしたところで投資力はみにつきません。
本業「投資家」、副業「パート事務」。

投資を本業として、さらに投資力を磨くための環境をつくるべく、ずっと頭によぎっていた働き方を実践しようと思いました。
時間が確保できて、かつ最低限の生活に支障がない給与が得られる働き方です。
それは、派遣や契約社員、パートです。
わい太の奥さんには、結婚する前から考えや生き方について話していたので特に驚くこともなく、理解してくれました。
共働きということもあり家計管理もきちんとしていたので、生活に困窮することもありません。
そして、経理・労務系のパート事務で働くことになりました。
土日祝休みで残業はあまりなく、シフトの融通もかなり利きます。
おかげで、本業としたい株投資の勉強やブログの時間を確保しやすくなり、大正解でした。
この時まだ株投資を始めて1年目でしたが、確保した時間で学びながら実践していくことで100万円以上の利益を得ることもできました。
そして、失敗もたくさんありますが順調に利益を伸ばしています。
やはり、時間の投資は超大事です!
わい太がブログで発信したいこと

さて、このブログを始めた2つの理由についてです。
1つ目は「投資についてキチンと学べば、必ずお金も時間も増やせる!」ことを証明する成長の記録にしたいからです。
2つ目は、その成長の記録によって最低1人以上の人に「本当にありがとう」と言ってもらえるサポートをしたいからです。
例えば、お金に悩んでいる人たちや大切な家族や友人と過ごす時間がない人、それに付随して夢の実現をあきらめている人など。
世の中には、たくさんの副業や投資に関連する情報があります。
役に立つものもあるのですが、どん底からお金もちになったことをアピールするサイトやメルマガ配信のしつこい情報系サイト。
うさんくさいネットビジネスもたくさんあります。
特にSNSには多い印象です。
変な副業や投資話で、損する時間や経験をしてほしくありません。
わい太がつくづく思っていたことがあります。
「投資スクールは高くて、初めての人にはハードル高いな~。」
「実践できる知識や考え方、株投資のリアルな体験も知ることができるサイトがあればなぁ・・・。」
そこで、わい太のブログは、等身大のリアルなもので、分かりやすいものにしていこうと決めました。
「キホンを学べば、キチンと増やせる」が信条です。
キホンをしっかり固めることで、利益を増やせるスタイルを極めていくつもりです。
その延長上で、いわゆる難易度の高そうな分析の仕方があるのかもしれません。
ということで、わい太について色々と自己紹介させて頂きました。
「自分も投資で生活できるような投資家になりたい!」と
わい太と同じ夢をもつあなた。
わい太と一緒に学んでいきましょう(^^)/